2021年1月 新年初アップデートしました。
- 2021.01.07
- お知らせ
2021年新年第一弾のアップデートをしました。
2月は1970年代、80年代を含め相当数をアップデート予定ですのでご期待ください。
昨年はコロナにマラドーナの訃報など、明るい話題に乏しかった一年の暮れに、またかというべきかパオロ・ロッシの訃報が飛び込んできました。
ダルグリッシュが「人生の一部を修正できるのだったら、ヘイゼルの忌まわしい事故を無かったことにしたい」と深く重い発言をしていたのを思い出し、ロッシだったら、絶対に八百長事件と出場時停止により棒に振った地元開催のEURO’80出場だっただろうなぁ、なんて勝手に想像してしまいました。
考えてみれば(データ的にも)、ロッシはかなり早熟の選手だった気がします。今では10代でのプロデビューや代表デビューが当たり前の時代ですが、70年代当時はほんの一握りの選ばれし選手だけで、ロッシもそんな選手の一人でした。20歳頃から在籍したヴィチェンツァ時代からゴールを量産し、まさにデビュー当時から無双状態。セリエBに続き、セリエAでも得点王に輝き、典型的なプロビンチアチーム・ヴィチェンツァでリーグ優勝争いを演じる大活躍。
(サポーターには失礼だが、ビチェンツァなんて、ロッシと90年代にウルグアイのオテロが在籍していたくらいしか記憶が無い。)
イタリア代表では1986年のメキシコ大会を除いて、ワールドカップサイクルで必ず活躍するという、大舞台で驚異的な強さを発揮しました。キャリアハイライトである1982年スペイン大会では、2年間の出場停止明けにも関わらず、ラスト3試合で得点王という大活躍でイタリアを44年ぶりのワールドチャンピオンに導きました。通を気取る気まぐれなファンからは、「(ブルーノ)コンティが優勝の立役者だ」なんて言われましたが、ロッシがいなければ間違いなく違う結果になっていたでしょう。(コンティ云々よりイタリアはいつの時代も強固な守備陣が影のMVPのような気がするが)
1982年のワールドカップ後の古巣ユベントス時代は以前ほどの輝きを見せることなく数クラブに在籍した後、31歳の若さで引退。64歳で逝ってしまったのも生き急いでしまったのか、残念で仕方ありません。
いつの間にかマークを外し、どこからともなく現れて、誰よりも先にボール触れる希代の点取り屋でした。合掌。
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