2020年5月アップデートしました。
- 2020.05.07
- お知らせ
2020年5月アップデートしました。イタリア、イングランド、スペイン、フランスの欧州各国リーグ、カップ戦、アルゼンチン、ブラジルの南米リーグ、カップ戦を追加、整理掲載しました。しかし、アルゼンチンの年代ごとに変わる複雑なレギュレーション、Jリーグ同様(昔のパ・リーグが一番ピンとくる)、前期・後期ならまだしも、一部リーグ参加に当たる「メトロポリターノ・ディビシオン」と、地域含めた全国大会に近い「ナシオナル・ディビシオン」とかデータを調査するもの泣かせでした。1980年代には前期・後期制になったものの、90年代にはまたまたレギュレーション変更。ようやく、2014年に1シーズン制に落ち着いたようです。(最近ですね)。ブラジルも同様に複雑で、最近でこそ全国選手権「カンピオナート・ブラジレイロ」で統一されていますが、80年代後半には何と全国選手権と、人気チームを集めたコパ・ウニオンにリーグが分裂。その他にもリオデジャネイロ選手権「カンピオナート・カリオカ」や、ブラジル最古のサンパウロ選手権「カンピオナート・パウリスタ」などの地域リーグも存在するので調査に骨が折れます。なんという懐の深さ、、、南米らしいですね。
追悼:ロブ・レンセンブリンク
去る1月24日にPSMA(進行性前立腺癌)によって、トータルフットボールの重要人物であったレンセンブリンクが亡くなりました。クライフと同い年、4年後の72歳でした。以前から前立腺癌を公表しておりオランダの田舎町で静養しているとのことでしたが、自伝本(Rob Rensenbrink-Het Slangenmens)発表時には元気な姿を見せていただけに残念です。クーン・ムーンライン、ピート・カイザーに続きレンセンブリンクまで、オランダは伝説の左サイドを多く失ってしまいました。クライフと似た風貌、同い年、アムステルダム出身と共通点の多い二人だが性格は正反対。常にボールを要求するクライフに対し、レンセンブリンクは黙々とプレーをするタイプでしたが、その能力はズバ抜けていました。(本人はそう思っていなかったらしい)。レンセンブリンクといえば、1978アルゼンチン・ワールドカップ本大会での活躍が語られることが多く、実際に本大会を辞退したクライフから後継者に指名され、参謀ズワルトクロイス(Jan Zwartkruis、発音的にはツヴァルトクライスかな)助監督からもチームの設計者として信頼されていたとおり、多くのゴールとアシスト(オーストリア戦は圧巻)でチームをファイナルまで牽引しました。決勝のアルゼンチン戦では、同点で迎えたロスタイムのポスト直撃弾があまりにも有名で、ワールドカップ優勝と得点王を逃したと語りぐさになっています。しかし、レンセンブリンクのキャリアハイライトは1976年のオランダ代表とアンデルレヒトでの大活躍でしょう。同年のカップウィナーズカップ決勝では2ゴールでウェストハムを撃破し優勝。現在のEURO、欧州選手権・準々決勝1st-Legのベルギー戦(4月29日クライフ誕生日!)では圧巻のハットトリック達成、ベッケンバウアー率いるバイエルン・ミュンヘンとのスーパーカップ2nd-Legでは2ゴールでカップを獲得。バロンドールでは76年が3位、78年が2位(なぜキーガン?)と受賞には恵まれなかったものの、スネークマンの活躍は人々の記憶に残っています。
名GKピータ・ボネッティ、ミック・ロビンソンなど訃報続きで残念です。
「Oranje Toen En Nu」の第2集は次のタイミングで紹介します。
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