2021年8月アップデートしました。
- 2021.08.21
- お知らせ
前例のない特殊な状況下、賛否両論の渦巻く中開催された東京オリンピックもあっという間に終了した。大健闘した日本代表を含め四強に勝ち残ったのは、この真夏の東京の暑さに対応できた国、且つ技術の高いチームという印象の大会だった。
カテゴリー別とはいえ、大会・トーナメントは良い。オリンピックにはオリンピックの面白さがある。
古くは東欧勢のステートアマ(偽アマチュア)の天下だった時代でも、列強国のアマチュア選抜チームに、のちのフットボールシーンを熱くするスタープレーヤー達が参加していたこともあった。1972年のミュンヘン五輪では、当時すでにバイエルン・ミュンヘン所属にもかかわらずアマチュア契約だったウリ・ヘーネスや、のちに名監督となるオットマール・フィッツフェルト、マンフレート・カルツが出場していた開催国の西ドイツをはじめ、ブラジルには、あのファルカンやディルセウ、ロベルト・ダイナマイト、デンマークには1977年バロンドールのアラン・シモンセンが参加していた。1976年のモントリオール五輪では、プラティニ、パトリック・バチストンのフランス、名GKアルコナーダ、当時はまだレアル・マドリード所属ではなかったファニートのスペイン、ブラジルではフラメンゴのジュニオール、86年のワールドカップでキャプテンを務めたエディーニョも参加していた。ハンガリーのフロリアン・アルバートやベネ、ポーランドのルバンスキーやディナ、ソ連のブロヒンなど、なかなかお目にかかれなかった東欧の世界的プレーヤーを目撃できる楽しみのほか、このほぼフル代表の東欧勢に挑むアマチュア(契約)時代のスター達をチェックするというような楽しみ方もあった。1980年のモスクワ五輪は、ほとんどの西側諸国がボイコットで不参加だったため、真の東欧選手権になってしまったが、いよいよプロ参加が解禁となった1984年のロサンゼルスと1988年のソウル五輪の二大会は本当に面白い大会だった。プロOKとはいえ、「ワールドカップ参加経験なし」が条件だった二大会はそれまでのオリンピック同様のスター予備軍に加え、国内リーグではトップスターでありながら代表で輝けない選手、同時代に活躍していた世界的選手の影に隠れた存在など、人気選手が参加していた大会でもあった。1984年で優勝したフランスからは、アヤシュ、ジョゼ・トゥーレ、シュエルブなどが後にフル代表に参加。ユーゴスラビアにはストイコビッチ、カタネッチ、ブラジルはドゥンガ、西ドイツは浦和レッズでも活躍したブッフバルト、ウーヴェ・ラーン、そしてブレーメ、イタリアにはフランコ・バレージ、マッサーロ、アルド・セレナがいたし、忘れてはならないカメルーンからも、GKベルやロジェ・ミラ(ワールドカップ出場経験ありだったよね?)が参加していた。特に西ドイツのフランク・ミルやイタリア・インテルのサバト、ユヴェントスのヴィニョーラは(層が厚く)代表には定着できないものの、人気、実力を兼ね備えた選手だった。1988年はさらに多くのスターが参加していた。GK・タファレル、ジョルジーニョ、ジオバンニ、バウド、ロマーリオ、ベベットと、ほぼスター軍団だったブラジルやファブリ、エルナン・ディアス、国内での輝きのみだったホルヘ・コマス、アルファロ・モレノのアルゼンチンの南米二強。イタリアはGKタッコーニ、デ・アゴスティーニ、マウロのユヴェントス勢、マラドーナと全盛期を謳歌していたフェラーラ、カルネバーレ、クリッパのナポリ勢に加え、オランダトリオでいよいよ最強王国を築きはじめたミランからはタソッティ、コロンボ、そして、ビルディスとエヴァーニと他国ではレギュラークラスの実力派が揃っていた。(リツィッテリ、パリュウカも参加していた)ユーゴスラビアはストイコビッチ、スーケルの共演、西ドイツはタイミング的にフル代表だったクリンスマン、トーマス・ヘスラー、カール=ハインツ・リードレ、ブトケに加え、フンケル、ヘルスター、ファッハ、グラハマーなど地味ながら超実力派で好成績(銅メダル)を収めた。スター選手が揃ったチームの中で、優勝は東欧の巨人・ソ連だったという結果もまた面白い。次のバルセロナ五輪からは現在の形(U-23)となったため、たったニ大会に終わったB代表ワールドカップ的オリンピックサッカーは過渡期の喜ばしい産物だったのかも知れない。
投稿間際で“Der Bomber”ゲルト・ミュラーの訃報が飛び込んできた。
昨年あたりに「ゆっくり死に向かっていると」ウシ夫人のコメントが発表されていたのだが、現実のニュースを聞かされるとやはりショックである。
FW、ストライカーの代名詞で、一部では「コロコロシュート」「これといって秀でたものがない」との評が散見されるが、とんでもない誤りだと思う。
1974年の決勝で対峙したオランダのレイスベルヘン(かなりハードな選手だが)が「ビクともしなかった」というコメントや、同大会のユーゴスラビア戦のスライディングシュート、名手ヘルストレームのファインセーブで得点にはならなかったが、スウェーデン戦で見せた四人に囲まれながらのシュート、得点王に輝いた1970年メキシコ・ワールドカップでのヘディングシュートの数々は、ずば抜けた身体能力を示すのに十分だと思う。ミュラーの才能を見いだしたズラトコ“チック”チャイコフスキーが名付けた「太っちょ」、その見た目が左右していただけの話ではないか。何よりも、得点の嗅覚、ポジショニングについては天賦の才としか表現しようがない。
キャリア晩年はブライトナーとの覇権争いでミュンヘンを追われたり、その後はアルコール依存症などの問題もあったが、偉大な功績に何ら傷つくものではない。合掌。
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