2021年11月アップデートしました
- 2021.11.14
- お知らせ
ワールドカップ予選は佳境に入っており、世界各地で激戦が繰り広げられている。
なかんずく、11月の欧州予選は最終節で通過が決まる直接対決が目白押しなので、サッカーファンなら見逃せないところだろう。
そんな中、来年まで続くアジア地区予選では我らが日本代表がもたついており、突破の確率も五分五分といった状況で、やきもきしているファン、サポーターは多いのではないだろうか。
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「ナショナルチームの入り口と出口はハッキリしていなければならない」とは、日本サッカーの父といわれ、ドイツサッカー界でも重鎮的存在であったデットマール・クラマーさんの名言である。それは、選手だけではなく監督、スタッフにも当てはまることではないかと思う。
レーヴ体制のマンネリズムで動脈硬化を起こしていたドイツ代表が、ハンス=ディーター・フリック体制に変わったとたん、別のチームではないかと錯覚させるほどの変貌を遂げた。いや、地力、実力、タレント力から考えれば復活したという表現の方が正しいのかも知れない。
そんなドイツでも、かつては代表招集拒否をする選手が数多く存在した。
70年代ではブライトナーがシェーン監督との確執によって年齢的に最も脂がのっていた’78年アルゼンチン大会には不参加だった。次の’82スペイン大会では、主力と期待されたベルント・シュスターが、デアヴァル監督やブライトナーとの確執から参加を拒否している。近年(でもないが)では2002年のショル、それ以前のエッフェンベルクもナショナルマンシャフト参加を拒んでいた。
自由を重んじるオランダでは、’78年のクライフ不参加は有名な話だが、同大会にはファン・ハネヘム、ホーフェンカンプ、ファン・デル・カイレン、ファン・ベベレン、ルート・ヘールスなど、中心となれる選手がハッペル監督との確執、プライベートな理由などから、こぞって参加を拒否している。その後、第二期黄金期の中心選手、フリットが’94アメリカ大会直前でオラニエを後にしている。
ワールドカップではないが、デンマークのミカエル・ラウドルップも、ニールセン監督との確執でEURO92を拒否していた例もある。
ナショナルチームへ呼ばれるということは、ほんの一握りの選ばれしトップアスリートであり、国家を代表する大変名誉なことかも知れない。しかし、自由主義国家では、人間としてこれを拒む自由と権利は保障されており、特に個人主義の欧米では珍しいことではないかと思う。前述の代表入りを拒んでいたスター達は、当該監督とのサッカー感の違い、哲学の違いであるケースがほとんどである。
日本の場合は、生まれた瞬間から和(輪)や集団の大切さをたたき込まれるので、ハッキリと意見を言う者、NOを声高に言う者は異端として、早い段階で弾かれてしまう傾向にあるので難しいだろうが、「こんな戦術のハッキリしないサッカーはやってられない」「サッカー感が違いすぎる」などの理由から代表を拒む者、問題提起をする者、あるいは「オレの方が実力が上だ」と叫ぶ選手が出てこないだろうか。
日本サッカー協会の田嶋幸三会長は選手時代もドイツへの留学経験があり、コーチ業としてもケルン体育大学で学ぶなど、ドイツサッカーの神髄を知る数少ない日本人である。当然、デットマール・クラマーさんの名言も知っているはずなので、動脈硬化を起こさないための治療を行ってくれるはずだ。(きっと、、、)
ワールドカップを28年ぶりに第三者的テレビ観戦の覚悟を決めたファンも多いと思うが、それ以前に予選(アウェー戦)の映像がないという波乱。この時点で予選一敗目を喫していた気がしてならない。
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