2022年4月アップデートしました
- 2022.04.17
- お知らせ
今年11月に開催されるワールドカップ・カタール大会出場国も、残すところ3枠で全32チームが出そろうことになった。我らが日本代表もゴールの喜びを超低カロリー、低燃費に抑えながらの突破となったが、多くの問題を出場決定により覆い隠してしまうことが心配だ。
今回も数多くのドラマがあったワールドカップ予選だが、最大の驚きは欧州チャンピオン・イタリアの敗退だろう。プレーオフでの敗戦はもちろんだが、グループ予選終盤での失速、北アイルランド戦とスイス戦で勝ちきれなかったことが最大の要因とみるのが妥当だと思う。さすがに2大会連続の不参加は、(予選落ち経験のない!)ブラジル、ドイツとともに第二次大戦以降、ワールドカップ、各大陸選手権などのビッグマッチで最も安定していたイタリアは、もはやBIG3の一角ではなくなってしまったのか。あるいは、1976年チェコスロバキア、1992年デンマーク、2004年ギリシア同様、欧州選手権でサプライズ優勝した国の、翌ワールドカップ予選敗退のジンクスにハマってしまったのだろうか。チェコスロバキアであれば1976~1980、デンマークならば1984~1992年のEURO周期のバイオリズムは中堅国にはありがちだが、イタリアは安定の大国だ。むしろ、1984年、1992年の欧州選手権を予選敗退しているイタリアは、どちらかといえばワールドカップ周期タイプだったと思っていたが、2012年以降、EURO周期に突入した感がある。近年の実績、安定度から言えば、スペインやフランスに勢力図が塗り替えられたような気がしてならない。イングランファンには申し訳ないが、地元開催以外のワールドチャンピオン、欧州選手権制覇の経験もなく、マスコミとファンの期待値バイアスがかかっているイングランドは個人的に超大国にはカウントしていない。(私自身もキーガン以来の贔屓チームではあるが、タイガース同様、強くないから応援したくなるタイプなのだ。)
2大会連続ということは、4年+前後3年x2で10年間の本大会不在となるイタリア代表では、ワールドカップのピッチを踏むことなく現役を引退してしまう選手も数多くいるだろう。
歴史的には一時代を築いた選手やワールドクラスでも、ナショナルチームの実力、怪我や病気による長期離脱など、様々な理由でワールドカップのピッチを踏めないまま、現役を去っているスター選手たちは数多くいる。アルゼンチン生まれの偉大なディ・ステファノは時代背景や激動の人生から、ワールドカップに出場していない代表的な選手だ。1962年チリ大会でスペイン代表で登録されるも、首脳陣との軋轢や選手としてのピークも過ぎていたこともあり、一度もワールドカップのピッチを踏むことはなかった。ジョージ・ベストは、北アイルランド低迷期が選手ピークと重なり不出場。当時の北アイルランドはベストのワンマンチームで、ベストが無双状態のときは英国選手権でサプライズは起こすものの、長丁場の予選を勝ち抜くほどの安定感が代表チームになかった。少し後に、かつての盟友ジェニングスやマクロイ、若手のホワイトサイドを要し、82年~86年に連続出場を果たしたのは運命のいたずらか。同じく英国の小国、ウェールズでは、イアン・ラッシュ、マーク・ヒューズ、サウスオールが、86年予選あと一歩(数分)のところで出場が叶わなかった。数年後のスター、マンチェスター・Uで輝かしい戦績を誇るギグスでも、本大会出場のないまま現役を去っているが、ウェールズではベイルが年齢的にも最後であろうチャンスに挑むことになる。アイルランドのステープルトン、素晴らしかっらブレディもベストと同様のケースだった。
反対にピークアウトしながらも幸運にも恵まれ出場が叶った選手としは、74年オランダのピート・カイザー、スコットランドのデニス・ロー、78年ポーランドのルバンスキー、82年のキーガン、82年~86年ソ連のブロヒン、86年デンマークのアラン・シモンセン、新しいところでは、2006年チェコのネドヴェド、ウクライナのシェフチェンコなど、長年にわたり素晴らしいプレーを披露したからか、バロンドール受賞のご褒美か、短時間ながらもピッチに立つことができたプレーヤーたちだ。
日本代表でもメキシコ・オリンピック銅メダル、得点王だった釜本は、全盛期の70年予選をウイルス性肝炎の大病を患い棒に振っている。(予選を突破できた確証は何もないが)
そして、日本人離れした感覚を持ちながらも慢性の腰痛で2006年出場が叶わなかった久保竜彦も、ワールドカップでのプレーを見たかったひとりだ。
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